以前勤めていた不動産の買取再販の会社での話です。
私は、その会社で不動産調査・契約部門の責任者をしていました。
なお、この部門は常時20名前後の社員を抱えていて、その社員たちは、全国にある支店にバラバラに在籍しているという、非常に管理がしにくい部門でもありました。
また、この会社の不動産物件調査は、とにかく細かく調査をしていくということで、この会社と取引をしている仲介会社にはそれなりに名前が知られてもいました。
なお、その細かく調査をしていくというやり方ですが、私の前任者にあたる元上司が10年以上の歳月をかけて体系化させたものでした。
しかも、その上司は、会社設立当初から調査・契約部門を作ってきた人であるため、社長といえどもなかなかこの部門をコントロールすることができず、この会社の調査・契約部門は「どんどん調査項目が細かく決められていく」という状況でした。
また、とにかくこの上司は仕事に厳しく、社内で最も恐れられていた存在だったのです。
ちなみに、私自身はこの上司のやり方にくらいつけるだけの根性(?)があったため、同期や先輩社員がどんどん脱落していく中で何とか生き残り、入社から数年でこの上司の右腕のような存在となることができました。
ところが、あるとき事件がおきました。
この上司が、出張中に脳卒中で倒れたのです。
幸い一命はとりとめたものの、右半身に麻痺が残りました。
当然、この上司は従前の仕事ができなくなり、会社から配置転換を言い渡されるということになりました。
そのようなことで、その上司の右腕だった私に、当然のごとく後を引き継ぐという指令がきたのですが、あとを引き継ぐとは、単純に従前の仕事をそのまま処理していけば良いというわけではありませんでした。
そもそも、その上司は、調査・契約書作成の分野においても優れた専門家であり、まずやらなければならないことは、その「優れた専門家一人が抜けた穴を埋める」必要があったのです。
そう、この元上司が機能していた時は、最悪作業員の中から退職者が出たとしても、この元上司が退職者分の仕事をカバーすることができたのです。
元上司は、まさに業務における「保険」のような役割を担っていたのです。
ですが、その「保険」が先になくなってしまった。
つまり、私は「保険なしの車」を引き継いだような状態だったのです。
そのため、この部門を引き継いだ後、真っ先に始めたことは「保険を作る」ということでした。
この保険をどのように作ったのかといいますと、元上司の管理下では、各調査員は所属する支店の調査・契約書作成だけ従事していればよかったのですが、私が引き継いだ後は、日本全国にある支店を4つのエリアまとめ、各エリアの調査・契約書作成は、エリア内部で連携して行うということにしたのです。
これにより、各エリアで、それぞれ一人ずつくらい欠員が出たとしても、新たに人を採用することなく仕事を処理していくことができるようになり、この時点でやっと「保険」を作ることができたということになります。
ちなみに、元上司が倒れてから、この状態を作り上げるのに半年程度の期間を要しましたが、何とかこの「保険なし」の時期を乗り切り、新体制をスタートさせることができました。
そして、この時期あたりで社長から、追加の指令が飛んできました。
それは「会社としての競争力を高めるために、調査・契約部門のコストをカットしたい」というものでした。
そう、今までの元上司の体制のときは、とにかく細かくチェックをしていくということで、コストは度外視という面がありました。
ですが、社長自身も創業間もないことろから働いている元上司を信頼し、高まるコストを気にしつつも、目をつぶってきたのです。
ところが、元上司は別の部署に異動となりました。
そして、さらに私が作った新体制が合理的であり、コストカットにもつながることを好機と捉え、さらなるコストカットができるのではないかと考えたようでした。
これは、経営者としては当然の考えだと思いますし、実際に、ムダとも言える部分はまだまだありました。
それは「細かすぎるとされる調査項目」です。
この会社の不動産調査の項目は、元上司が「問題があるたび追加してきたもの」でした。
その中には、1,000件の調査のうち1件の確率で出会うというような「激レアな問題も発見できるよう設計された項目」もあったのです。
社長から見れば、このような1,000件に1件の問題を発見するために、毎回時間を使って調査をするのであれば、買取りをした後のリフォーム工事のときに、余計に工事費用を計上しておいた方が合理的であり、結果としてコストカットにつながると考えたようです。
これも経営者としては至極まっとうな考えだと思います。
そこで、このようなムダを洗い出すために、社長を始め営業の幹部社員と、私、そして調査・契約部署のリーダーが集められ、ムダを洗い出すための会議が開催されるということになりました。
その結果、従来の調査項目の半分程度にまで、項目が削減されたのです。
このこと自体、私に異論はなかったのですが、私には、「今まで細かい調査をし続けてきた現場の調査員はどう思うか」という心配だけがありました。
どう思うかとは、すなわち「簡略化された調査では物件の瑕疵を見つけることができない。それでは心配だ。従来どおり細かく調査をさせて欲しい。」とでも訴えてくる調査員が出てくるのではないかという懸念があったのです。
でも、結果として、そのような調査員は皆無でした。
それどころか「調査がラクになって嬉しい」というような好意的な意見が多かったのです。
ここで私は初めて気付いたのです。
「人間はラクできる方向には簡単に動けるのだ」と。
そして、こうも考えました。
「ラクな方向を選んで喜ぶのではなく、しっかりと自分の頭で考えて、ラクかどうかにかかわらず、ベストだと思える方向に動いていこう」と。